五月人形鎧兜の製造工程
鋳物師の仕事
坩堝から溶湯が流れ出る。沸きおこる白煙、鼻をつく異臭。千二百度の高温に、溶湯は眩しいばかりの光を放ち、注ぎ手と支え手二人の鋳物師に照り映える。
鋳物のクライマックスともいうべき火入の時。
鎧、兜に華麗な趣を添える飾り金具は、京型鋳物師の手によってつくられる。この元禄の時代から受け継がれてきた京型鋳物師は、いまや京都はおろか日本全国にも唯一。京型の名を冠すその特徴の一つは、三十から六十もの鋳型に連続的且つ一時に溶湯が注入できることにある。それだけに工程もまた独特。
まず「真土」という特殊な土の板に鋳型を叩き出すと一定の高さに積み上げ、溶湯の流れ道をつくる。それを荒土で覆ったものを外型とし、素焼状にした後、溶湯を注ぎ込む。
その後しばし冷却、型を壊して鋳物を取り出すのである。
鍛金師の仕事
一枚の金属板に、恰も鎧・兜の生命を吹き込むかのように、微妙に、そして時には力強く鉄槌を打ちおろす鍛金師。旺盛な覇気を表すかのような鼻、口、いかつく張った顎、そして皺の一筋一筋まで、表情豊かに面頬が敲き出されていく。
面頬だけでなく、鍛金師の仕事範囲は極めて広く、鎧、兜の金属部全般の製作が、その手に委ねられている。
兜の鉢は短冊形の金属板を一枚一枚矧合せ、かしめられていく。
このかしめ具合が強すぎても弱すぎても、最後の一枚はその両端に合わされない。しかし、厳しい年輪を乗り越えてきた職人芸の確かさ、最後の一枚は寸分の狂いもなく合致する。そして、鍬形台には微妙な曲線を敲き出し、そこに差し込まれる鍬形は、羽根暫をもって一つ一つその文様を刻み込む。
まだまだある。小札板の波出し、佩楯、籠手の鎖の編み上げ・・・。
彫刻師の仕事
源氏重代の大鎧に範を取る前立は、木彫の龍。材は姫小松である。
近頃は良質の木が手に入りにくくなったと嘆じながらも、龍を彫る彫刻師の手元は確か。
脇に置かれた刀の数、およそ百本。その一本一本が研ぎ澄まされ、鋭い光を放っているのはその昔日本刀を魂とみたてた武士の気脈に通じるものがある。よき彫刻師はよき砥師、この世界でいわれるこのことばは、研ぎが満足にできなければ完璧な彫はできないことを教える。
なるほど、何ヶ所か彫る度に刀が研がれる。この鋭い切先があってはじめて、あの跳梁たる龍が生まれるのである。研三年彫十年がこの世界の最低修行単位である。
箔押師の仕事
竹でできた一本の箔箸、これが箔押師の道具といえるもののすべて。この箔箸が箔押師の手に納まると、道具というより指の一部であるかのような錯覚をおこさせる。
「フゥー」とした吐息にも宙に舞い、形が崩れる金箔を瞬時にして一枚掴む、と同時に小札板に押される。波打つ小札板の山の部分と窪みの部分に、形を崩さず均一に箔を押すことができるようになるまでに十年。気の遠くなるような単調で緊張の連続ともいえる修行を経てきた箔押ししにはいい知れぬエネルギーを感じさせられる。箔押師と密接な関係にあり、上物になるほど、その間の往復が多い。
漆、箔檀威、箔といった具合である。
箔押師の周囲を見廻すと、舞い散る金粉のためにあらゆるものが金色に輝き、箔押師自身の指も金色に染っていた。
房師の仕事
房師の仕事場は艶やかそのもの。緋、朱、萌黄・・・何十色もの糸が小粋と呼ばれる糸巻きや、竹製の糸繰機に巻きつけられ無造作に置かれている。
赤糸威、紺糸威等の名があるように、鎧、兜は全体が威毛という組紐、房に覆われているがそのすべてが房師の手によって編み上げられ、組まれるのである。
紐を組むのにおよそ十工程、房を組むのに七工程、この房組はまったくの手づくり。括り台の前に端座した房師は、まず松竹木管と呼ばれるものにかがり糸をかがって房頭をつくり、これに繰り返し糸を組むことによって房の形を成す。
これに同色の組紐をつけた後、あの優雅な総角結びを施す。こうしてつくられた房、紐が、鎧、兜に武具とは思えない優しさを醸し出すのである。
塗師の仕事
鎧・兜を納める唐櫃に、一気に上塗刷毛を走らせる塗師。下地におよそ十工程、そして上塗三工程のうちの最終。
唐櫃ばかりでなく、兜の綴、鎧の各部を構成する小札板も塗師の手にかかるが、工程は唐櫃以上に複雑多様。小札板に厚みをつける胡粉地のように、下地の中には、この工程を二十数回も繰り返すものさえある。この小札板の最終工程である飴色の白檀塗りは、鎧、兜に一際華麗さを添える透漆である。
漆は刷毛ばかりでなく箆(へら)も使用するがこの箆づくりができれば塗師も一人前。三年はかかるという。ちなみに、箆は塗師屋包丁と呼ばれるこの世界独特の刀を使ってつくられる。
塗師は塗るという技術以前に悩みを二つ抱えている。その一つは、空中に舞う微細な塵、埃。「夜露の出るような晩、琵琶湖に舟を出し、その上で仕事ができたらなあ」という塗師の述懐は、塵、埃に対する切実な悩み、そしてもう一つの悩みである漆の乾燥にも及ぶ。
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五月人形は日本の文化です - 日本では季節の変わり目の祝祭日のことを節日といい、お供え物をしたり行事を行って祝ってきたという歴史があります。この節日の供え物『節供』という言葉が、節日そのものを指すようになって『節句』という言葉になったともいわれています。その五節供のうちのひとつ端午の節句は、男の子の節供として内には五月人形を飾り、外には鯉のぼりや五月幟をたて、お子様の成長を喜ぶお祝いの行事として生活に定着しています。とりわけお子様がはじめて迎える節句を初節句といい盛大にお祝いします。また、女の子の初節句は、雛人形を飾ってお祝いします。