大将の鎧。五月人形の選び方
「大将の鎧ください。」
こんなひとって大好きです♪
なにをかくそう、わたくしも我が息子には、大将になって欲しいとおもう一人です。
みなさんもそうではないでしょうか?
さて、本題です。
大将の鎧とはどんな鎧のことをいうのでしょう???
最近の流行である名武将の甲冑「当世具足」は、どこにでも置いていることでしょう。(後述の大将の鎧も実はどこも置いているはずですw。)
これは、時代のわりと新しい甲冑でして、効率よく防御するとともに、量産できるような作り方がされているものがほとんどです。
これは、軍隊で統一された甲冑で、大将の鎧というのと少し違うと思います。
近世になって集団戦をするようになり、甲冑を支給(御貸具足)するようになると、高価で手間のかかる甲冑は避けられ、安価な量産のできる鎧が使われるようになり、皆がその具足を着用したためです。
(「具足」とは兜、胴、佩楯、脛当、籠手、面頬すべて揃っている状態をいい、甲冑だけをさす言葉ではありません。)
これら、近世の鎧「具足」は「胴丸」から発展したといわれており、集団徒歩戦のために足が動きやすいよう草摺(腰あたりから垂れている編みこみの板)が七間にわかれたものが多いです(千差万別というくらいさまざまです。胴丸は八間。)。
この「胴丸」、鎌倉時代には武将でなく徒歩の士卒が着用していました。
この「当世具足」が流行るずぅ~と前にさかのぼり、時代は平安・鎌倉時代。
大将は現代でいう自家用飛行機に匹敵する(らしい)軍馬にまたがり、名乗りをあげて一騎打ちを行なっていました。
その頃、大将は「大鎧」に身を包んでいたのです。
大鎧は騎馬戦用の甲冑で、弓を射る戦に向いているよう工夫されています。
ちなみに当時足軽は、「胴丸」や「腹当」を着て身を守っていました。
室町時代以降にも実際には戦うことのない指揮官、格式を重んじたりする武将は好んで「大鎧」を身に付けたようです。
「大鎧」は正装として江戸時代まで残ります。
この「大鎧」こそ、大将の鎧というにふさわしいのではないでしょうか?
「大鎧」は漆塗の小札を半分づつ重ね、つなぎ合わせて頑丈な板となし、それを横板として上から吊り重ねながら連結し体を覆うように形作られています。
製作に莫大な手間のかかる甲冑です。
当然、地方をまとめる大将ですから、金に糸目をつけずに自分の身を守る優秀な「大鎧」を作らせたことでしょう。
今は節句用の飾り鎧として、装飾にこだわり、実際には使われていない金箔押(木や紙を金色にする場合に使われる)や白檀塗が手間のかかった鎧として販売されていますが、本格的、実戦的?(装飾の少ないもの。それを着て戦えるわけではありません。)なものもあります。
五月人形の選び方
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五月人形は日本の文化です - 日本では季節の変わり目の祝祭日のことを節日といい、お供え物をしたり行事を行って祝ってきたという歴史があります。この節日の供え物『節供』という言葉が、節日そのものを指すようになって『節句』という言葉になったともいわれています。その五節供のうちのひとつ端午の節句は、男の子の節供として内には五月人形を飾り、外には鯉のぼりや五月幟をたて、お子様の成長を喜ぶお祝いの行事として生活に定着しています。とりわけお子様がはじめて迎える節句を初節句といい盛大にお祝いします。また、女の子の初節句は、雛人形を飾ってお祝いします。